大相撲、元大関貴ノ浪の音羽山親方が急性心不全で死去

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大相撲、元大関貴ノ浪の音羽山親方が6月20日の午前に、急性心不全のため亡くなったと報じられています。43歳でした。

元大関貴ノ浪、音羽山親方は1971年(昭和46年)に青森県三沢市で生まれ、1987年(昭和62年)の春場所で初土俵を踏んでいます。

196cmと恵まれた体格をいかし、豪快なスケールの大きな相撲で注目を集め、1994年(平成6年)の春場所に大関に昇進、1996年(平成8年)の初場所と1997年(平成9年)の九州場所で優勝を果たすなど、大関に37場所在位し、同部屋の弟弟子、元横綱・貴乃花や若乃花らと共に大相撲人気を盛り上げました。

2004年(平成16年)に現役を引退した後は貴乃花部屋で後進の指導に当たっていました。

日本相撲協会の発表によると、音羽山親方は20日午前に滞在先の大阪市内のホテルで倒れてのが発見され、病院に運ばれたものの、その後死亡が確認されたということです。死因は急性心不全でした。

ご冥福をお祈りいたします。

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貴ノ浪貞博(音羽山親方)

貴ノ浪貞博(たかのなみ さだひろ)、音羽山親方は1971年10月27日生まれの43歳。青森県三沢市出身で、二子山部屋(入門時は藤島部屋、引退時は貴乃花部屋)所属の元大相撲力士で、最高位は大関でした。

現役時の体格は196cm、体重160kgと恵まれた体格、長い手足と強い足腰をいかして相手を引っ張り込むという相撲を得意としていました。

棒立ちの不利な姿勢と見えることが多い相撲こそが貴ノ浪の得意とする型で、そのまま相手を引っ張り上げ、上体を伸ばし切らせ力を十分に出させない状態に追い込む取り組みが多くみられました。

常識外れともされる相撲に「無手勝流」と批判もされましたが、師匠の二子山親方は「あれでいいんです」と認め、個性を伸ばした。「みんな個性が大事、と言っているのにおかしいですよ。貴ノ浪はいつでも努力しています」とかばったことも知られています。

現役時代から明るく物怖じしない性格は多くの人に好かれ、「日本相撲協会のスポークスマン・影の広報部長」と自称し、自身の取組について勝っても負けても、ユーモアたっぷりに回答したり、力士の裏話を公表したりと、報道関係からの人気は高かったと言われています。

大関に昇進後、2度の優勝を果たし横綱を目前とするもかなわず、足首の怪我の影響もあってか大関から陥落するも一場所で返り咲を果たしました。しかし2場所で再び陥落してい、その後は幕内で土俵を務めあげ、「自分にしか取ることの出来ない(スケールの大きい)相撲で観客を沸かせたい」と魅せる相撲に徹し、大関時代にも勝る歓声を得ていました。

大関時代から悪かった心臓の不調で入院するなど、相撲を続けられる状態ではなく2004年の夏場所を最後に引退。通算成績は777勝559敗13休の勝率.582、幕内のみでは647勝473敗8休の勝率.578で、幕内優勝2回の記録を残しています。

2005年(平成17年)1月30日、両国国技館で行われた断髪式には引退相撲の歴史を見ても屈指の数と言える400人以上もの来訪者が鋏を入れました。

断髪式には当時入退院を繰り返していた師匠の二子山親方も、病院から訪れて髷に鋏を入れると、貴ノ浪は堪えきれずに涙を流し、来場者の感動を呼んでいました。その4か月後には二子山親方は口腔底癌で死去し、貴ノ浪の引退相撲が最後の公の姿となっていました。

師匠が亡くなった後、「僕は貴ノ花ラブ、ですから」と口癖のように話しています。

今頃、天国で二人は大好きな相撲談議に花を咲かせていることでしょう。

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