大相撲の立行司を務めている37代木村庄之助が3月16日の誕生日で65歳となり、春場所で定年となります。春場所では千秋楽まで土俵で行事を務め、1965年名古屋場所から半世紀にも及んだ角界生活に幕を下ろします。
3月19日に開いた会見で、「いつも通りにやろうと。考えても仕方がないし年はごまかせない。長いようで短い。もう50年もたつのか…」と実感がわかない様子で話しました。
春場所開催4日目となる3月12日には、北の湖理事長に定年の挨拶に出向いたところ「よく体が持って定年までいけたね」とねぎらわれたのが何よりもうれしかったとしています。
唯一、「日本人横綱を裁けなかった」ことが心残りとして、「もう何年も出ていないからね」と寂しさをみせました。
「最近の相撲は速い。一瞬だから」と時代の流れも感じながら、「正面に尻を向けるな」との先輩の教えを肝に銘じて行司を務め上げてこられました。
「これからの人生、誇りを持って生きて行ける」と、定年後は巡業で回った全国の温泉地巡りと、釣りを楽しみにしているということです。
長い間、お疲れ様でした。
木村庄之助「3回、死にかけた」
これまでを振り返り、「3回、死にかけた」と話し、定年までよく体が持ったと自身でも驚かれています。
1回目は21年ほど前、夜中にタクシーを止めようと道路に出た際に大型バイクに跳ねられ、「血だらけになった」と大怪我を追っていたことを明かしました。
2回目は7年前の秋、食道がんにおかされた時のことをあげ、行司は声が商売道具といえるだけに「もうダメだ」と思ったと回想しています。家族も「声帯に傷を付けないように」と医者に懇願し、手術は無事に成功、1場所休んだ後に土俵に復帰することができました。
3回目は2012年初場所4日目。把瑠都に送り倒された若荒雄と接触し、土俵下にまで転落。「13分も意識がない状態で、気付いたら診療所のベッドの上だった」と脳しんとうとなりながらも、翌日も休まず土俵に上がったことを振り返っています。
38代木村庄之助は
春場所終了後に開かれる番付編成会議の結果によりますが、2014年5月場所より40代式守伊之助が38代木村庄之助を襲名することになると思われます。
行司の昇格は年功序列ではなく、土俵上の態度、裁きの良否などが成績として加味され、優秀であれば先輩行司を飛び越して昇進することがあります。また、降格規定もあり差し違えの回数などにより降格処分の対象となっています。
ただし、行司の最高位である木村庄之助の襲名条件は、式守伊之助を経て先代の木村庄之助が引退して空位になった場合、ということになっています。
木村庄之助に次いで2番目の地位である式守伊之助は三役格からの昇格となり、11代式守勘太夫が41代式守伊之助となるとみられています。