サッカー元日本代表FW黒部光昭、37歳の誕生日に引退を決断

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突然だが想像してみてほしい。
チームを牽引し、天皇杯制覇という栄光に導いた一人のサッカー選手が引退を決断しました。

サッカー元日本代表のフォワード黒部光昭選手(37)が、37歳の誕生日となる3月6日に現役引退を決断しました。

黒部光昭選手は福岡大から2000年に京都サンガに入団し、2002年度には元韓国代表でイングランドプレミアリーグのマンチェスターユナイテッドでも活躍した朴智星さん、元日本代表で松井大輔(現 ジュビロ磐田)選手らとともに、天皇杯を優勝するなどチームを牽引し、2003年にはジーコ氏が率いた日本代表にも選出されていました。

2005年にはセレッソ大阪に移籍し、チームのJ1優勝争いに貢献。その後、浦和レッズ、ジェフユナイテッド市原・千葉、アビスパ福岡、カターレ富山と渡り歩き、2014年にはタイのTTMカスタムズFCに所属していました。

黒部光昭選手は「自分の人生において、いろいろな方面から模索しながら考え、このタイミングで引退を決断しました」と明かしており、「現役にこだわり続けたかったここ数年でしたが心、技、体のバランスをうまくとることだけで精いっぱいでした。でも、現役にこだわり続けてきたからこそ、プロであることの楽しさを存分に味わうことができたと思います。夢はプロのサッカー選手と、小学校の時に思い描いていたことが現実になり、そこから日本代表になることもできた」と現役時代を振り返りました。

今後については、「プロのサッカー選手は終わりますがサッカー選手は死ぬまでやめないので今後ともサッカーとともに人生を走っていきたいと思います。」と語っておられ、指導者としての道を歩まれるのでしょうか。

プロサッカー人生、お疲れさまでした。

黒部光昭 公式Webサイト
http://teruaki.kuro.be/top.shtml

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黒部光昭さん

黒部光昭(くろべ・てるあき)さんは1978年3月6日生まれの37歳、徳島県阿南市出身です。

小学2年生からサッカーをはじめ、徳島商業高校時代には全国高校サッカー選手権大会徳島県大会で3年間連続で決勝へ勝ち進むも、すべて準優勝に終わりました。

高校の段階でJリーグクラブからのオファーがあったと言われていますが、このオファーを断り、福岡大学に進学。大学屈指のストライカーとしてユニバーシアード(スペイン・マジョルカ大会)の日本代表に選ばれるなど活躍しています。

大学を卒業した2000年に京都パープルサンガ(現 京都サンガF.C.)に入団するも、三浦知良選手らの陰に隠れ18試合で1得点に留まり、大きな活躍を見せることは出来ませんでした。

しかし2001年、2年目のシーズンは背番号9を背負い、チームのエースストライカーとしてJ2リーグ戦41試合で30ゴール(J2ゴールランキング2位)をあげる大活躍で、チームのJ1昇格に大きく貢献しました。

2002年は朴智星さん、松井大輔選手らと攻撃的なサッカーで魅了し、J1リーグ戦27試合で13ゴールを記録し、チームは年間順位5位となり、また第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会では決勝戦で鹿島アントラーズを破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得するなど飛躍の1年となりました。

前年の活躍を受け、2003年にはフル代表に初めて選出されるも、自身は怪我の影響もあり満足いくシーズンとはならず、チームも再びJ2に降格することになってしまいます。

それ以後はチームを転々とし、最後はタイで飾ることとなりました。

J1リーグでは114試合で28得点、J2リーグでは231試合で65得点、カップ戦なども含めると日本での現役通算成績は387試合108得点となっています。

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