箕内拓郎選手失明危機による引退、ラグビー元日本代表

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突然だが想像してみてほしい。
自らが走るラグビー人生は終わったとしても、後進の指導という新たな人生が始まるということを。

長年にわたり日本ラグビーを支えてきた箕内拓郎選手(39)が現役引退を発表しました。2014年トップリーグ開幕前に「両目水晶体亜脱臼」で手術を受け、競技生活続行にドクターストップがかかっていました。

箕内拓郎選手はラグビー日本代表の元主将でトップリーグのNTTドコモレッドハリケーンズに所属していました。NECグリーンロケッツ所属時代には3度の日本一に貢献し、2003年・2007年と2大会連続でワールドカップに日本代表主将として出場を果たしています。

引退会見では「家族、すばらしい選手やスタッフのサポートがあって、33年間幸せな現役生活を送れました。」と語り、充実した表情を見せていました。

今後はNTTドコモレッドハリケーンズのFWコーチとして後進の指導にあたられるということです。長い間、お疲れさまでした。

33年の選手生活、ノーサイド ラグビー元日本代表ナンバー8 NTTドコモ箕内が引退会見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150218-00010000-nishispo-spo

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両目水晶体亜脱臼

箕内拓郎選手は、2014年のトップリーグ開幕前の練習試合で両目を負傷、多くのスポーツマンを診察してきた医師が「初めて見た」と驚く「水晶体亜脱臼」という診断を下されました。

外傷により水晶体が元の位置からずれるという「水晶体亜脱臼」は、片方の目で見ると物が二重に見えてしまうといい、視力の低下はそれほどないようですが、手術をしない場合は複視や続発性緑内障を引き起こします。

箕内拓郎選手は、失明の恐れもある重度の「水晶体亜脱臼」と考えられ、両目の水晶体を摘出し人工レンズを入れる手術を受けられました。

しかし、医師から「激しい接触を伴うを伴うスポーツはできない」と告げられ、箕内選手は「ケガをした場所が場所。仕方ない。」と引退を決意することとなりました。

箕内拓郎選手の実績

  • 出身   :福岡県北九州市出身
  • 身長/体重:187cm/106kg
  • 血液型  :AB型
  • ポジション:フランカー、No.8

小学1年生からラグビーをはじめ、関東学院大学4年時には主将として大学選手権で初優勝を果たしました。卒業後はオックスフォード大学へ留学し、1998年12月にケンブリッジ大学との定期戦「バーシティ・マッチ」に出場するなど、日本人としては2人目、文武両道の証とされる「ブルー」の称号を得ました。

1999年にNECに入社し、2002年には日本選手権優勝を果たします。トップリーグが開幕すると、第1回マイクロソフトカップ優勝に導きMVPを獲得をするなど活躍を続け、2002年のロシア戦で日本代表初キャップ獲得と同時に主将に就任しました。

NECでは2004年、2005年にも日本選手権優勝を遂げ、2006年12月には英国レスターで行われた南アフリカ代表海外遠征100周年記念試合に世界選抜の一員として選ばれています。

2010年にはNTTドコモレッドハリケーンズに移籍し、トップリーグ昇格に貢献するなどチームの大黒柱として活躍していました。

2014年は開幕前の両目故障により試合に出ることは叶いませんでしたが、世界と戦った経験をチームに伝えるなど裏方としてバックアップに徹しました。開幕前に引退を決意しながら、引退発表がチームの全日程終了後になったのも「選手に与える影響が非常に大きい」(藤盛清記チーム統括)という判断をされるほどチームにとって大きな存在だった、といえるでしょう。

今後は、NTTドコモレッドハリケーンズのコーチとして後進の指導にあたられますが、海外へのコーチ留学も検討しているといい、「選手に信頼されるコーチになりたい」と話しておられます。

2019年にはワールドカップ日本大会も開かれます。その舞台にも何らかの形で関わりたいと話す、指導者としての箕内拓郎さんに今後期待しましょう。

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