元JRA騎手・常石勝義さんの夢は東京パラリンピック馬術競技

horse-150205

突然だが想像してみてほしい。
騎手として最高峰のレースに勝利した男が、違う舞台で金メダルを目指しているということを。

障害レースの最高峰「中山グランドジャンプ」(JG1)を制した日本中央競馬会(JRA)の元騎手、常石勝義さん(37)が2020年東京パラリンピックの馬術競技出場を目指しています。

常石勝義さんは2度の落馬事故で左半身にまひが残り騎手を引退。引退後は競馬評論家として活動し、また競馬ライターとして文筆活動を行いながら、今も左目の視野は狭く、記憶力や集中力が低下するという高次脳機能障害にも悩まされています。

それでも「もう一度、大きな舞台に立ちたい」と馬術競技の練習に打ち込み、「今も馬に乗るのは全く怖くない」と兵庫県明石市にある乗馬教室で手綱を握る常石さんの表情に硬さはひとつも見られないようです。

スポンサーリンク

常石勝義さん

オグリキャップにあこがれ、中学卒業後には騎手を養成する競馬学校に進みます。

同期には2013年JRA最多勝利騎手に輝いた福永祐一騎手(38)、和田竜二騎手(37)、中央競馬の女性騎手の一人、増沢由貴子(旧姓・牧原)騎手らがいる「花の12期生」のひとりでした。

1996年3月に中尾正厩舎所属でデビューした常石勝義さんは、デビューからの約5か月で12勝を挙げる活躍を見せていましたが、8月4日小倉競馬場でのレース中に落馬、脳挫傷で意識不明の状態に陥ります。

奇跡的な回復をみせて半年後にはレースに復帰し、復帰した1997年の「小倉3歳ステークス」では「タケイチケントウ」に騎乗し、重賞初勝利を飾っていました。

また2003年には障害レースの最高峰である「中山グランドジャンプ」で「ビッグテースト」に騎乗しG1(JG1)を制した常石勝義さんは「歓声が最高に気持ちよかった」と振り返っています。

しかし2004年8月、小倉競馬場で行われた障害レースで再び落馬し、脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋内血腫を併発し意識不明の重体に陥ります。

昏睡療法により約1か月後には意識を取り戻し、復帰を目指して懸命なリハビリに取り組んだ結果、翌2005年には木馬に乗って騎乗トレーニングができるまでに回復します。しかし、度重なる脳外傷が原因で高次脳機能障害と診断され、左半身のまひも残ったことから引退を決断します。

「復帰しか考えていなかったので、ほんとうにショックだった」と話す常石勝義さんは2007年2月28日、JRA通算82勝の成績を残し29歳の若さで引退しました。

引退後も「馬に会いたい、触りたい」との気持ちは変わらず、リハビリを兼ねて滋賀県草津市の自宅から栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市)に歩いて通い詰め、競馬評論家としての活動を行いながらも乗馬教室にも通います。

2014年秋に開かれた全国障がい者馬術大会では難易度の高いチームテスト部門で初優勝するまでになり、指導する明石乗馬協会(明石市)の三木薫さん(59)は「騎手時代の習性で姿勢が前かがみになるが、馬を操る技術は問題ない」と話しています。

パラリンピックで行われる馬術競技は、馬をいかに正確かつ美しく運動させることができるかを競う馬場馬術のみとなっています。

高次脳機能障害の影響で、定められたコースを覚えることが常石勝義さんには難題ではありますが、母の由美子さん(63)とコースを紙に書き込んで覚えることを日課にしています。

「周りの人に支えられて、ここまで来た。次は僕が恩返しをしたい」と語る常石勝義さん。再び大舞台での歓声を浴びる日を夢見ています。

スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です