織田信長築城の小牧山城、技術の限界を超える石垣だった

castle-150213

突然だが想像してみてほしい。
天下統一を目指した武将が新たな拠点として築いた城には英知が詰まっているということを。

織田信長(1534~1582年)が1563年(永禄6年)に築城したとされている愛知県小牧市にある「小牧山城」は、3段の石垣(高さ約6メートル)で囲まれていたことが発掘調査で明らかになり、小牧市教育委員会が発表しています。

小牧市教育委員会では「近づくと高さ6メートルの石垣がそびえ立っているように見え、若い信長が、部下や敵対する勢力を圧倒する演出効果を狙ったのではないか」と分析しています。

小牧山城を囲んでいる石垣については、これまでの調査で上から1段目、2段目の高さ4メートル部分までは出土し確認できていましたが、3段目の高さ2メートル部分が今回の調査で発見されました。

新たに見つかった3段目の石垣は、下部の約1メートル部分に幅30~50センチの石が積み上げられていたということです。

千田嘉博・奈良大学長(城郭考古学)は「当時としての技術の限界を超える石垣」と驚いておられ、「小牧山城は常識にとらわれない信長の人となりが反映された城だったことが改めて分かる発見だ」と語っておられます。

また、中井均・滋賀県立大教授(日本城郭史)は「3段目には崩れを防ぐための基礎工事の意味もあったのではないか。信長が築いた最初の城にもかかわらず、非常に計画的で、考えられていたよりも高度な技術が使われていたことが分かる」と指摘しておられます。

信長の小牧山城「当時の技術の限界超える石垣」
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150213-OYT1T50010.html

スポンサーリンク

小牧山城築城

織田信長は、1560年6月12日(永禄3年5月19日)の桶狭間の戦いに勝利したあと、美濃を攻める体制を構築するために本拠地を尾張国(愛知県)の中心地、清州から移す計画を立てました。選ばれたのは広大な濃尾平野の中に孤峰を保つ小牧山で、織田信長は小牧山山頂に城を築き、1563年(永禄6年7月)には主要兵力をそっくり小牧山城に移した、とされています。

以後、織田信長は美濃への侵攻を繰り返し、ついに1567年9月17日(永禄10年8月15日)、美濃稲葉山城を攻め落とし、稲葉山城を岐阜城と改め移住しました。これにより、小牧山城は約4年間の役目を終え、廃城となったのです。

これまで、美濃攻略のための土塁による仮住まいの城と考えられていましたが、2010年発掘調査で城の四方を2段の石垣で囲んだ本格的な城であることが判明し、安土城(滋賀県)に先立つ本格的な石垣の城であることがわかっており、織田信長は長期間にわたり「小牧山城」に滞在することも考えていたのではないかと言われています。

スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です